外で見ていたアジサイと内(室内)のアジサイの違いにはっとする
梅雨の季節になると、道端や公園で美しく咲くアジサイを見かけます。
私も毎年のように眺めていましたが、ある日、アジサイを近所の方から2輪いただき部屋へ飾ってみました。
すると不思議なことに気づいたのです。
それまで何度も見ていたはずのアジサイなのに、まるで別の花のように感じられました。
外では群れの美しさや季節の風景として見ていたアジサイが、部屋の中では花びらの繊細な色の移ろい、一つひとつの小花の形、茎の曲線まで語りかけてくるように見えたのです。
同じ花なのに、見え方がまったく違う。
一輪の朝顔に込められた意図
その体験から思い出したのが、茶人の 千利休 の有名な逸話です。
豊臣秀吉が満開の朝顔を楽しみに茶会へ訪れたところ、庭いっぱいに咲いていたはずの朝顔はすべて切り取られていました。
驚きながら茶室へ入ると、床の間にはたった一輪の朝顔だけが飾られていたといいます。
人々はこの話を「引き算の美学」として語ります。
同時に、私は、それ以上に「見る心を変える演出」だったのではないかと思うのです。
庭一面の朝顔は景色としての美しさです。
一方、茶室の一輪は、その花そのものと向き合うための美しさです。
数百輪の中の一輪ではなく、一輪しかないからこそ、その存在に意識が集中します。
価値は同じでも伝わり方は変わること
アジサイも同じでした。
外では風景の一部だった花が、室内では主役になる。
すると今まで気づかなかった魅力が見えてきます。
これは花だけの話ではありません。
本当は素晴らしい商品やサービスなのに、多くの情報や競合の中に埋もれてしまい、その魅力が十分に伝わっていないことがあります。
逆に、商品そのものを変えなくても、見せ方や伝え方を変えるだけで、人は今まで気づかなかった価値を発見します。
利休の朝顔も、部屋に飾ったアジサイも、そのことを教えてくれているように思います。
ブランドとは価値を見えるようにすること
価値を高めるのは、モノそのものだけではありません。
「どこで見せるか」
「どう見せるか」
「何を残し、何を削るか」
によって、人の心への届き方は大きく変わります。
私たちはつい、「もっと説明しよう」「もっと見せよう」と考えがちです。
しかし、ときには利休が朝顔を一輪だけ残したように、本当に伝えたい価値だけを際立たせることが必要なのかもしれません。
ブランドづくりとは、新しい価値を作り出すことではなく、すでにある価値を見えるようにすること。
部屋に飾った一輪のアジサイは、そんな大切なことを改めて教えてくれました。


